飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2020年9月1日

海老原 章 (岐阜高山教務所長)

第2話 いまを生きる

このたび人事異動により本山財務部長から岐阜高山教務所長を拝命しました。今後とも皆様方からご指導いただきますようよろしくお願い申しあげます。

ここ数年豪雨や大型台風による被害が相次いでいます。また今年に入り新型コロナウイルス感染症による感染拡大がいつになれば収束するのか、まだまだ先が見えない不安に包まれております。

このような状況の中、本山、教区・別院において様々な法要・行事を中止、延期とする苦渋の判断を余儀なくされましたし、お寺に至っても仏事や法要など取りやめが相次いでいるとも聞き及んでおります。このコロナ禍によって、私たちが日々当たり前のこととしてきた日常がすべて問い直されることとなりました。一日も早いコロナ禍の収束を願わずにはおれませんが、果たして「コロナ禍」後の社会、宗門、お寺、そして我々の生活には、どのような「かたち」がもとめられるのか、大きな課題が投げかけられているように思われます。

親鸞聖人御在世の折にも、天災、飢饉、疫病などが起こり、多くの方々が亡くなられました。宗祖ご自身も不安の只中にありながらも、そのご生涯をかけて浄土真宗こそが真の拠り処であることを顕かにしてくださいました。

近年続く豪雨や台風被害、そしてコロナ禍の状況は、まるで身も心も暗闇のただ中に放り投げられたかのようであります。

ある夏の夜、大雨によって停電し何も見えない状況が数時間続いた時に、泣いて不安がるお子さんにお母さんが言った言葉が思い浮かびます。それは、「真っ暗闇の中で明かりを探そう探そうとするから不安になるのよ。逆に目を閉じて、一緒に手を繋いで皆で歩いていきましょう」と。今この不安の只中から抜け出そうと、解消しようとすればするほど、いよいよ言い知れぬ不安に陥るということではないでしょうか。いやむしろ、不安の只中を生きる、暗闇を暗闇と知り、その中を皆と手を取り合って共に歩んでいく。そこに南無阿弥陀仏によって照らし出された一閃の光が差し込むのではないかと思います。

そういった不安で苦難な状況であるからこそ、一人でも多くの方々にお念仏の教えを紡いでいかなければならないことでありますし、親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要の「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」のテーマのもと、皆さまとともに歩みを進めてまいりたく、今後とも何卒よろしくお願い申しあげます。

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