飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2021年11月19日

内記 浄 (徃還寺住職)

第46話 ナムアミダブツゥ イッタダキマス

毎日、仏さまにお供えする「お仏飯」を、孫たちが学校や保育園から帰ってきたころ一緒にお下げする。本堂には8個、「お内仏」には4個が供えてある。「行くぞ!」と号令すると、それぞれ競争するように我先にと本堂へ走っていく。そして彼らの手が届いて取れたお仏飯は、私のもつ「お盆」へと集まってくる。それがみな揃うと、外陣の正面に降り、手を合わせて「ナムアミダブツ」を3回称えるように教えてきた。一刻もはやくその「お仏飯」を焼いてもらって醤油をつけておやつとして食べたいために、彼らは大急ぎで「ナムアミダブツウ」と称え、走って戻っていく。

するとある時から「ナムアミダブツウ ナムアミダブツウ ナムアミダブツウ」と3回称えた後に「イッタダキマス!」と言うようになっていた。何を言っているのかと初めは面食らったが、確かにその後で「いただく」のであるからその通りである。あるいは朝、学校や保育園に行く前には「お内仏」の前でやはり「ナムアミダブツウ ナムアミダブツウ ナムアミダブツウ」と言ってから「イ(行)ッテキマッス!」とやっている声がする。

思えばこちらもその通りである。「いただきます」も「行ってきます」も「おはようございます」も「おやすみなさい」も「ごめんなさい」も「もったいない」も「かたじけない」も「もうしわけない」も「有り難い」も、飛騨弁の「こわいサ」も、みな「ナムアミダブツ」の日本語訳、飛騨弁訳ではないか。

アメリカに渡り、何十年もアメリカ人に禅仏教を伝えている方が「仏教の(教えの)こころをどういう言葉で伝えているのですか?」と尋ねられ、「サンキュウ(ありがとう)、エクスキューズミー(ごめんなさい)、アイラブユー(愛しています=とてもあなたが大切です)のこころです」と応えられていた。

ホンモノの教えとは「おどろおどろしい不思議」なものではあるまい。あまりにもあたりまえ、あまりにも自分に近すぎて見失い忘れ去っている生活の大事を、私に日々教えてくれるはたらきである。

孫たちがどう思っていやっているのかは知らない。焼きおにぎり風「お仏飯」につられて走っているだけかもしれない。そしていくつまで付き合ってくれるのかわからないが、一緒に生活できる限りずっと続けたい、と思う。

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