2025年8月1日
宮川 摩耶 (暎芳寺衆徒)
第175話 嫌いな食べ物はなんですか
皆さんは知り合いの人に「何か嫌いな食べ物はありますか?」と質問できますか。
なぜ好きな食べ物ではなく嫌いな食べ物を聞くのでしょうか?またこの質問をされてどれくらいの方が「嫌いな食べ物はありません」と答えられるのでしょうか。
昔お世話になった先生にこのように言われたことがあります。
「食べ物の好き嫌いは人の好き嫌いと一緒だ」と。先生という仕事は生徒がいるから先生になれる。先生と呼んでくれる人がいるから先生になれる。しかし先生がその生徒を好き嫌いで避けてしまっては、本来の先生にはなれないのではないでしょうか。
息子が通う保育園で働く保育士さんは、息子からしたら優しくて時には厳しい先生。私達親からすると子どもを預かっていただき色々と教えてくださる頼りになる先生。そんな先生に嫌われていると思うと毎日気持ちよく過ごすことは出来ません。
毎日食べる給食も残さず食べましょう。と今は言われないのかも知れませんが、私の学生時代は言われていました。しかしそれを言っている先生が残していては説得力がありません。ただ、これは先生に限らず私達の生活において必要なことだと感じています。私自身お寺で生活して30年以上経ちました。関わる方が多いお寺において人の好き嫌いをしてはいられません。
親鸞聖人は摂取不捨、念仏すれば皆救われると教えられています。人生は物事を選び取る選び捨てるを繰り返して生活しています。では何故それを選び取ったのでしょうか。それを考えて生活していますか。ほとんどが煩悩で物事を決めているのではないでしょうか。あれは好き、あれは嫌い。小さな事から大きな事まで毎日が繰り返しなのです。その中でふと立ち止まってください。自分の生活の根本がこれで良いのだろうかと。仏様や親鸞聖人は何を教えていられるのか。私自身も考えながら、一人でも多くの方と共に親鸞聖人の願いや教えを聞きに、お寺にお参りに来ていただくにはどうしたらいいのか考える毎日です。