池田英作 (高山1組 了泉寺門徒)

私にとって今年は近年にないうれしいことがありました。

それは八月に初孫が生まれたことです。コロナ禍のただ中であり毎日毎日、

とにかく母子ともに無事に出産をむかえられることをひたすら願い続けていました。

そして、予定日に女の子が生まれたときには、自分の子が生まれた時以上にうれしく思えました。

 この世に生をうけたばかりの孫の寝顔を飽きもせず見続けながら、この子の人生を想ってしまいます。

ずっと幸せに一生を終えられるようにと、生まれたすぐから願います。

私が思う孫の幸せと孫がこれから思うであろう幸せは当然違うことはわかっていますが願わずにはいられません。

いずれにしても、この可愛い孫も少しすると、

泣いたり笑ったりしながら成長していき、悩み苦しむ生活が繰り返されるのでしょう。

はなしは変わりますが、コロナ感染が日本でも騒がれだした当初、

人工呼吸器が足りなくなってきたら、助かる見込みの少ない老人や既往症のある人から外し、

助かる見込みのある若者に回すことも考えなければならないと報じられ、愕然としたことがありました。

自分はもう外される側にいるのですから大変なことです。命を差別するのかと怒りを覚えました。

しかし、この可愛い孫の寝顔を見ていると、わが命に代えてもこの子に幸せになって欲しいと思う心があります。

それを思うと命は平等だと言っていたあの私は嘘を言っていたことになります。

本当のところでは、この自分や、この子、身近なものの幸せを先ず考えているのです、

他人の時はきれいごと言っていても、自分のこととなると・・・・。

人はみな平等だとか命はみな等しいものだと教えを受けてうなずいている自分は、本当のところ受け取っていないのです。

孫の寝顔を見ながら、そんなことを思ったことです。