飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2022年10月7日

橘  出 (駐在教導)

第90話 人生の意味

 先日、祖父の葬儀のお礼参りに来られた二十才の学生さんから質問を受けた。「どうせ死んでいく身なのに、なぜ人は生きているんですか?」突然のことで少し戸惑った。

 お経に「私たちが本当に急がなければならないことは何か」と問いかける言葉がある。日頃の生活は、あくせく忙しい忙しいと動き回っているが、いつも準備に明け暮れて、ほとんどくたびれるだけで終わっているのではないか。

 かつて自己の人生を問い、「人生の意義は不可解である」と受けとめた方がいる。一人は虚無を感じ恨みをいだいて死を選んだ。もう一人は、自らの力の小ささを深く自覚し、だからこそわれらを決して見捨てることなく支えてくださる大きな力を信ずるのだと生涯を全うしていかれた。

 先のお通夜の際、「人生とは、誰も自分に代わって生きてくれる人はいませんし、一回きりで、必ず終わりがあります。だからこそ、今こうして生きていることが、当たり前ではなくかけがえがないことなのです」というお話をさせていただいた。

 「なぜ生きるのか」「人生とは何か」と問わしめるのは、きちんと生きたいという願いがわれらの奥底に流れているからであろう。

 ところで、『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるさんは、晩年、「なまけ者になりなさい」と説いたそうである。戦争の恐怖をくぐり、仕事に追われ歯車のように働く自身の悩みをかかえた壮絶な人生を送られた。それは人一倍勤勉で、努力家であった水木さんからすれば、忙しいのは、本当にやりたいこと、やらなければならないことを後回しにしてきた自らへの戒めでもあったのではないか。

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