飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2022年9月14日

三枝 正尚 (随縁寺住職)

第87話 おばあちゃんの涙

5月に、50回忌、27回忌、17回忌のお勤めをしました。おじいちゃん、おばあちゃん、そして父の年忌法要です。コロナ感染の影響で2年延期してのお勤めとなりました。 

法事の参列者にお渡しするため、誕生日だとか何歳で亡くなったとか、本人や古い写真などの、3人の事柄をまとめた資料を作っていて思ったことですが、3人の生きた時代は、日本がたくさんの戦争をしてきた時代だったなということです。 

特に父は、実際に戦地に赴き銃を手にして戦い、終戦後は約2年間シベリアで抑留生活を経験しています。戦争そして抑留生活の中で、たくさんの人が亡くなっていったことを語っていました。

それと思い出されるのが、おばあちゃんのことです。おばあちゃんの父親は、日露戦争に出兵し戦死しています。私が小学校の2~3年生の頃だと思いますが、おばあちゃんの父親が戦地から出した手紙を持ち出して来て、私に読んでくれたことを思い出します。手紙の中身についてぼんやりと覚えているのですが、現地はとても良い場所で、みんな優しく毎日楽しい生活をしているという内容でした。「愉快愉快」という言葉が何度も出ていたことを記憶しています。おそらく心配をかけないようにという配慮か、そう書かなければいけない戦時中の事情があったのかなと後で思いましたが、忘れられないのが、おばあちゃんが手紙を読みながらオロオロと泣いていたということです。涙もろい人でしたが、この時の涙を流す姿は忘れることが出来ません。

おばあちゃんの涙から、何か「こういう答えをもらいました」ということになっているわけではありませんが、今では、よくぞ手紙を読んでくれた、話をしてくれた、涙を見せてくれた、聞いておくべき大切なことを聞かせてもらったなと、思うようになっています。戦争についても、生きることについても、立ち止まって考えさせられるとき、おばあちゃんの涙の姿は、何か問いかけるものとして、私自身に影響を与えていることを改めて感じています。   

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