飛騨御坊・高山別院照蓮寺・真宗大谷派 岐阜高山教区 高山教務支所

ひだ御坊一口法話

2023年3月17日

三島 大遵 (真蓮寺住職)

第114話 過去の意味

 昨年、こんな言葉に出会いました。実業家でホストのイケメン芸能人・ローランドさんがネットによる書き込み(批判)に対して発した言葉です。 

 ネットには、「昔の写真見たけどカッコよくないし、サッカーも挫折したらしい。強がってるだけでコンプレックスと劣等感だらけで自分のこと嫌いそう」との書き込み。

 それに対してローランドさんは、「確かに高校時代一度もサッカー部の公式戦に出られなかったし、ホストとして全然売れず長い下積み時代を過ごし、カッコよくなりたくて整形だってしたけど、俺は生まれ変わってももう一度この人生を送りたいって本気で願ってるぜ」と。そして、「過去は改ざん出来ないが、過去の意味は改ざんし放題なのさ!」と発信したのです。

 過去に起こった事実は変えられません。しかし、その過去には、どんな意味でも与えられるということでしょう。

 今の私は、過去の事実の積み重ねです。良くも悪くも、その過去がなければ、今の私は形成されていません。では、その過去の事実にどのような意味づけができるでしょうか。それは「今」の私の生き方にかかっています。

 今の私に満足するのであれば、過去は全て救われます。苦しいことも、悲しいことも、大切な人との別れも。今の私を形成するためには、どれもこれも一つとして欠けてはならないご縁として。

 今の私に満足できなければ、過去は全て愚痴に終わります。苦しいことも、悲しいことも、あの人との出会いも。こんな自分にならないためには、どれもこれも消し去りたい出来事として。あの時こうしておけば…。これさえなかったら…。あいつのせいで、こいつのせいで…。

 ローランドさんは、「今」の人生を頷いて生きているのでしょう。だからこそ、過去の事実がなくてはならないものとして意味づけされるのです。

 私たちは、人生に起こる事柄の如何で幸せになるのではないのでしょう。どんな事実も我が人生と引き受け頷いていけるところに、真実の幸せはあるのではないでしょうか。

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