神村陽子 (高山一組 蓮乗寺門徒)

市内の仏壇店で店長をしています。 時々、おじいちゃんやおばあちゃん、

ご両親と一緒に「小さなお客さま」が来店されます。お仏壇を見るやいなや、

「なんなあい」「なんなあい」。小さな手で合掌している姿を見ると、

こちらも幸せな気分になります。ご自宅でおじいちゃんやおばあちゃん、

お父さんやお母さんの姿をよく見ているのですね。

それに比べて今の私はというと、子どものような素直さは…。

月命日に住職と一緒にお勤めをしても「今日こそ足がしびれませんように!」と

考えてしまいますから、恥ずかしい限りです。  

私がいつからお仏壇に手を合わせるようになったのかは分かりません。

おそらく「小さなお客さま」と同じく、合掌する祖母や両親をまねたのでしょう。

そのような体験もあって、毎日の習慣として朝にはお仏壇の花の水を替え、

お仏飯を飾り、お線香を焚いています。寝坊をしてお参りもせずに家を出た日には、

朝の挨拶を忘れたようで何となく心が落ち着きません。

朝のお参りは災難除けのおまじないのよう、と言ったら、淨土真宗の教えとは異なってしまうのですが…。

楽しく笑って過ごせることが一番だと思います。

しかし世の中、そうはうまくいきません。それだけに嫌なことが起こりませんように、

辛いことがありませんようにと願ってしまいます。

それでも遭遇してしまった時には「仏さま、おばあちゃん助けて。

私どうしたらいいの」と心の中で叫びます。

すると、どこからか「だいじょうぶ、だいじょうぶ」という声が聞こえてきます。

いつでも、どこでも、どんなことでも、仏さまが応えてくれます。悩みを受け止めてくれます。

仏さまを想う心を私に授けてくれた祖母や両親に感謝しています。

私の目の前で「なんなあい」と手を合わせるお子様たちも、将来、私と同じように感じるのでしょうか。

 1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災と、無常を感じさせる出来事が次々と起こります。

突然の大惨事に犠牲になられた方は、死の実感もないままに人生を終えられたことでしょう。

命の儚さを感じます。それを思うと毎日の「あたり前の日常」が光り輝いてくるから不思議です。

心臓がリズムを刻み、血液が全身を巡り、呼吸をしている。

「あたり前の日常」が本当に尊いことであることを忘れず、一日を大切に生きたいと思います。