岩崎 正親 (朝日高根組 正覺寺住職)

「頑張れ」私はこの言葉があまり好きではありません。

もちろん激励、応援の気持ちはあるのでしょうが、どうにもその人の物差しで自分を測られて「まだまだ足りてないからもっとやれ」とこちらの意思や行動は無視されて言われているような気がするからです。(まあこれは生来のヘソ曲がりの私の性格が大半を占めているのだと自覚はしておりますが・・)

だから私は「頑張れ」といわれるのも好きではありませんし、相手に言う事もしません。

しかしながら「頑張りましょう」という言葉は大好きです。

「頑張れ」と「頑張りましょう」

一見すると同じように思えますが、「頑張りましょう」の言葉の頭には「共に」という言葉がついてくるはずです。

 

コロナ禍

 

このたった一つの出来事により世界は一変しました。

今まで当然の如く、あたりまえに出来ていた事が出来ない。これほど人間の心を荒ませる事はないでしょう。

しかしながらこんな状況に反して多方面から聞こえてくる「頑張りましょう」の声。

有難い事です。こんな状況だからこそ、この一言がいつも何倍も暖かみを感じさせてくれます。

 

三密の回避が徹底され以前のようには人が集まれなくなり、仏事の形式も全く別物と言っていい程に変わってきました。

昨今寺離れが進んでいる現代。このコロナ禍がその問題に拍車をかけるのではないかと心底おそろしくも感じています。

しかしそんな事を危惧している私にある御高齢の門徒さんが一言。

「寺に集まれんのやったら家のお内仏にお参りすれば良いだけの事やないけ。寺の阿弥陀さんもウチの仏壇の阿弥陀さんも阿弥陀さんにはなんも変わりない。手を合わせる気持ちにはかわらんさ。」

すげぇ事言うなこの人は、率直に思いました。集まれなくても、離れていても阿弥陀さんに手を合わせるという気持ちには一緒、ということなんでしょうね。

あー、これが「共に頑張りましょう」なのでなのですね。